稲川素子事務所

私どもの事務所への外国人登録は現在142カ国(地域を含む) 約5,200人です。映画・テレビ・ラジオ・雑誌等のメディアをはじめ、各種講演・翻訳・語学指導など、お客様のご要望にお応えしつつ幅広く活躍しています。24時間いつでもお電話ください。年中無休体制で火急のご依頼、多人数にもいち早く対応いたします。

ご挨拶
信用を財産にしたい

 この仕事を始めさせていただいて20余年がたちました。初めは娘と二人、自宅で始めさせていただきましたが、このように続けることができましたのも一重に皆様の御愛顧と御支援の賜と深く感謝申し上げて居ります。

 社業の性格上、様々な異文化を持つ、沢山の外国人と日本人のはざまに立ちながら、苦戦もままございますが、決して疲れず、断じて休まないことをモットーに皆様の御要望に精一杯お答え致したいと存じます。

 新しい時代の変革を把握し、多岐に渡りお役に立てるよう尽力致します。そして折にふれ暖かい御助言をいただき、一歩一歩成長することができましたら、この上もない幸せと存じます。
 何卒一層のお引き立てを賜りますよう心より御願申し上げます。

代表取締役 稲川 素子

 
書籍
「精一杯」は、万策に勝る!
 外国人タレント事務所として業界では知らぬ者のいない「稲川素子事務所」。
数多くの人気タレントを輩出した事務所の名物社長の波瀾万丈の人生は、どんなドラマ
よりドラマチック!
 一人娘と二人三脚でのピアニスト修業の日々を経て、一介の主婦がひょんなことから
外国人出演者の紹介業を営むことになり、連日連夜、六本木、歌舞伎町、はたまた各国
大使館まで突撃スカウトの日々。数多くのトラブルも「一途、ひたすら、精一杯」の思
いで乗り切り、業界随一の「信頼」を得るに至る。
★読みどころ
・マッカーサーとの出会い     12ページ
・一人娘とのピアノ修行      32ページ
・ワルシャワでのショパンコンクール71ページ
・50歳にして、稲川事務所設立  84ページ
・無謀な砂漠ロケ        131ページ
・大学再入学          203ページ
・目が見えなくなるほど勉強しての大学院卒業 213ページ
・「一途、ひたすら、精一杯」に歩み続ける  5章
★以下は紹介記事からの抜粋です

50歳にして外国人タレント事務所を始める!

写真外国人タレントの紹介業として草分け的存在であるこの会社を設立したのは、今から25年前の50歳のとき。それまでは、ひとり娘の音楽のために全人生を捧げていたひとりの母親であり、まさか会社を作るなんて夢にも思いませんでした。

始まりは、ピアニストである娘の佳奈子が、あるテレビドラマのコンサートシーンでピアノを弾くことになり、撮影に同行していた私に、傍らの助監督がこう声を掛けたことでした。
「映画撮影でフランス人を探しているんだけど、誰かいない?」

ひとり知り合いがいますと親切心から私は連絡を取るものの、当のフランス人はすでに帰国。普通なら、ここでお役に立てなくてすみませんとなり、終わる話。

ところが、あまりにも助監督が喜んでいたので断りにくくなり、日仏学院の先生を探し当て、出演を交渉。その演技の素晴らしさが噂を呼び、良い外国人を紹介してもらえるという口コミから仕事が舞い込むようになりました。

その後2年間は来る仕事を無償で受け、紹介業をしていましたが、職業紹介業の許可を取らないと違法行為になり、ご主人に迷惑がかかりますよと番組プロデューサーに忠告されたのかきっかけとなり私は会社設立を決意し、主人に相談するものの、『一度も働いたことがないのに何が会社だ、会社ごっこをするわけじゃないんだから』と相手にされませんでしたが85歳のお姑さんが、勉強してきた外国語を生かせるチャンスじゃない、あなたの天職よ、私も手伝うからおやりなさいと背中を押してくれて会社は走り出すことになりました。



請求書が書けず、決算を知らない社長とは?

写真設立当初は現在のように外国人登録をしていなかったため、こういう人が欲しいと依頼されれば、要求に100%応えようと事務所のある六本木の街に何時間でも立ち続け、これだ!と思う人を見つけてはスカウトしていました。

若い人を探すためには、当時流行っていたディスコのお立ち台で踊り、めぼしい人を見つけては全身全霊をかけて口説く。どんな小さなエキストラ役でも手を抜かないのが、私の信条。社長役を頼まれれば本物の社長を、大学教授なら現役の教授を見つけ出すという100発100中外れなしという結果が、業界での信頼を少しづつ築いていく大きな力となりました。今まで数多くの方をスカウトしてきまさに、顔はその人の内面を映し出す履歴書だと私は思います。

そんな妥協知らず時でしたから事務所は必然的に24時間体制に。徹夜で人を探し、早朝から現場に行き、戻ったら翌日の準備…。日々こうして過ぎていきますから、請求書を書く余裕はありません。そんな状態で3年ほど経ったとき、業界仲間に儲かってしかたないでしょうと羨ましがられますが、現実はまったく違っていました。

「全然よ、だって請求書を書く暇がないからお金が入ってこないの。主人のお金を使っているからどうしようと思っているの」
それを聞いた人は『決算を見れば分かるでしょう』とすごく真っ当な指摘をされ、そのとき想像を絶する驚きの一言が私の口から飛び出しました。




「決算って何するの?」

本当に決算を知らなかった私は、怖くなって翌日慌てて税務署に行き、労働省にも足を運び、珍問答を繰り返します。やがて、縁あって優秀な税理士を紹介され、事なきを得て20数年。
「今もってお金のことはあまりよく分からないの。これじゃ経営者失格。だから、いまだに会社ごっこなの。こんな私でも会社をやれているのだから・・・・・」


三四郎池との再会

外国人タレント事務所を経営をする私は今は現役の東大大学院生でもあります。75歳で修士課程を卒業し、現在は博士課程で国際社会学を学んでいます。

昔病気の影響で中退を余儀なくされてた慶應義塾大学に再入学を果たしましたそれが65歳のとき。70歳で卒業しましたが鉄は熱いうちに打った方がいいと東大大学院を受験。2度の失敗を経て、3度目になんとか合格しました。

1回目の受験後に私が夢の中でうなされたのが、受験生がいっせいに鉛筆を持ち、書き始めるカチカチ、カチカチというすさまじいスピードで走る鉛筆の音。若い学生のスピードに圧倒された私は、勉強も大事だけれど、70歳の手には早くきれいな字を書く練習から始めなければいけないことを痛感しました。

なんでも早く書くことを課していたある日、銀行で口座開設の書類に住所を書いていたところ、銀行員に「閉店までまだ時間がありますから、お急ぎにならなくても大丈夫ですよ」と言われたほど、徹底していたのです。


2度の受験に失敗し、「これでダメならあきらめよう」と挑んだ3度目の挑戦での合格!
だが一番知らせたかった夫は、闘病の末、直前の1月に他界しており、悲しみを乗り越えてつかみとった合格でした。

写真実は、病弱だった幼少期、東大病院に入退院を繰り返し。「あの子は長くない」という医者の会話を耳にし、構内の三四郎池で泣き崩れた思い出があります。

 入学式を終えて、東大の三四郎池に走り、涙を流しながら、「ばんざーい」と何度も叫びました。「あの時死ぬと思ったのが70歳過ぎまで生き延びた。会社を興し、学生になってこの池に戻って来られた。人生って素晴らしい」

「3回受けて駄目だったら諦めようとは思っていました。だけど、できないと思うことをやっても仕方ないでしょう。できると思うことに努力するだけ。自分がやっていることは絶対に迷わない、決して疲れない、断じて休まない。私のモットーはこれだけです」

疲れるということには、肉体的な疲れと心の疲れがあります。私も大学院の修士論文を書いている時に3週間ほど目が見えなくなってしまいました。 
写真医者に行ったところ、原因は極度の肉体疲労、眼精疲労、精神疲労のため、眼球を支える筋肉が動かなくなってしまったのだろうというのです。片目ならばかろうじて焦点が合う、そんな状況の時、若かりしころ東大の総長だった南原繁先生から聞いた、「にもかかわらずというのが、人間を決める」という言葉が浮かんできました。

「にもかかわらず、やるのかやらないのか。人間にはいろんな事情があります。目が見えません、にもかかわらず論文を書く」

それで私の気持ちは決まりました。友人の助けも借りて無事に論文を書き上げ、修士課程を卒業できたのです。過酷な状況に置かれたとき、悲観して諦めるか、現実を受け止め前に進んでいくか。考え方、心のありようで、その後の道が変わってくるような気がします。 
写真迷わないのも、やることがたくさんありすぎて迷う暇がないからかもしれません私は素晴らしい縁に恵まれて20年以上にわたって多くの外国人と接してきた仕事の経験を横糸に、大学院で学んだ学問を縦糸にして論文を書きつつ、国際化する日本の中で外国人が暮らしやすくなるために少しでも役に立ちたいと思っています。

今回大変なご縁をいただき講談社様から私の初めての自叙伝『一途、ひたすら、精一杯』を11月24日(火)に出版させていただくことになりました。
『一途、ひたすら、精一杯』「精一杯」は、万策に勝る!
精一杯書かせていただきましたので一人でも多くの方にこの本を読んでいただけたら幸いです。
ありがとうございました。